2018年4月30日月曜日

きみは、いつもうつむいてるね(1)


第一章




きみは、いつもうつむいてるね



「オリンピック、それはアスリートにとって最大にして最高の舞台であります!」

 モアイの声がいちだんと大きくなった。

「そのような大舞台に出場して金メダルを獲得することは、偉業と言うよりほかありません! そうです、金メダリストとは、まさに『選ばれし者』なのです!」

 にわかの講演会場――体育館のステージに演壇が設(もう)けられ、整然とならべられたパイプ椅子の列に全校生徒がけだるい顔で座っている。

 柔道100キロ超級で金メダルをとった岩田勇造(いわた ゆうぞう)を招いての講演会、というイベントで、モアイはその前説のようなかたちで演壇にあがっているんだけど、これがまたくどい。
 ま、話が長いのはいつものことなんだけどな。

 永習館(えいしゅうかん)高校の二学期はやたらとあわただしい。
 体育祭、文化祭という大きなイベントが立てつづけにあるにもかかわらず、中間テストはしっかりおこなわれる。
 俺たち生徒に課せられた精神的負担は並大抵(なみたいてい)じゃない。いやでもテンションがあがるってもんだ。

 俺たちのボルテージは文化祭で最高潮に達する。
 そして文化祭が終わると、こんどは学校全体が燃えつき症候群のような感じになって軽いうつ状態におちいるんだ。
 あとはもう期末テストを残すだけ、という状況で気候は肌寒くなるいっぽうだし、これで気分を盛りあげろってのがムリなんだ。

 そんな物憂(ものう)げな11月に、この講演会は催(もよお)された。

 元気をなくした生徒たちの覇気(はき)をとりもどそう、というつもりなら、はっきり言って逆効果だ。こっちは軽く燃えつきてるっていうのに、よけいなイベントをやられても迷惑なだけなんだよ。
 俺だけじゃなく、ほとんどの生徒がそう思ってるはずだ。

 格闘技好きのカツオは「現役の柔道王がくる!」とか言ってはしゃいでいるけど、カツオのようなやつは少数派だ。
 有名人がくるってだけで喜ぶほど、いまどきの高校生は子供じゃない。

 演壇では、あいかわらずモアイが熱弁をふるっている。
 あれはもう自己陶酔の域(いき)にはいってるよな。

「最高の舞台に立って、最高の結果をだす――それを成し得るためには想像を絶する努力があったことでしょう。
 しかしそれは、肉体的な努力だけではないはずです。プレッシャーに打ち勝ち、本番で最高の結果をだすためにはメンタル面における強さが不可欠なのです。
 けっして弱気になることのないプラス思考や成功への揺るぎない信念を、岩田選手は誰よりも強くいだいていたにちがいないのです!」

 八つ前の席にいる賢策(けんさく)が後ろを振り返り、人気アイドル・五代修也(ごだい しゅうや)によく似たあまいマスクを俺に向けて、肩をすくめた。


 俺が同感の意を示して肩をすくめ返すと、賢策は苦笑(にがわら)いを浮かべて正面に向き直った。
 くそっ、苦笑いまでイケてやがる。あれじゃ女子が騒ぎ立てるのもとうぜんだよな。

 モアイは拳(こぶし)を振りあげてプラス思考やポジティブ・シンキングの大切さを無我夢中(むが・むちゅう)で語っている。

 ちなみにモアイというのは、この学校の理事長・永井義久(ながい よしひさ)のことだ。
 父である先代の理事長に代わって5年前にこの学校にやってきた人物で、俺たちが入学したときにはもう『モアイ』というあだ名が定着していた。
 あだ名の由来は一目瞭然(いちもく・りょうぜん)、顔を見れば誰もが「なるほど」と納得する。
 デカくて角張った面長(おもなが)の顔は、誰がどう見てもモアイ像そのものだからな。

 モアイこと理事長・永井義久は、徹底したプラス思考の信奉者だった。
 朝礼や集会、ホームルームの授業を使って、やたらとプラス思考だの成功哲学だのを生徒に押しつけようとする。
「あれはもう悪質な新興宗教だよね」というのは賢策の言葉だけど、まったくもって同感だ。
 宗教ってのは自分が信じているぶんには何も問題はないけど、他人に押しつけたとたんに害になるんだ。

 モアイの意のままにマインドコントロールされるなんて絶対にごめんだ。
 俺は意識をモアイの演説からそらし、左どなりの列、七つ前の席に視線を移した。

 切りそろえられたショートカットの後ろ姿が、そこにあった。


 暮咲香苗(くれさき かなえ)さん――
 その後ろ姿は少しうつむいていて、演壇を見ている様子はない。
 こんなときまで顔を伏せているなんてどこまで内気なんだろう。
 恥ずかしがり屋さんでぜんぜん目立たない子なんだけど、俺はどうしても気になってしまうんだ。

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更新
2019年3月13日 画像の挿入位置を改訂。文章体裁を一ヶ所改訂。