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「そういえばさぁ」
カツオがポテトを頬張(ほおば)りながら、言った。
「岩田勇造にはほんと、びっくりしたよね」
『びっくりした』というより『がっかりした』という顔だった。
カツオにとって柔道王・岩田勇造の疲れ果てた姿はかなりショックだったようだ。
はっきり言ってカツオは、小動物系のへたれキャラだ。それだけに『強い男』に対する憧(あこが)れは人一倍強い。
愛読書は宇賀神哲郎(うがじん てつろう)のハードボイルド小説だし、格闘技にはやたらとくわしかったりする。
とはいえ、みずから格闘技を習う勇気があるわけじゃない。
中学のときに一度、カツオに誘われて空手の道場を見学に行ったことがある。でもけっきょくカツオのほうがビビッてしまい、入門するには至らなかった。
つまるところカツオは『永遠のへたれキャラ』ってことなんだ。
俺は、カツオの落胆に応(こた)えて言った。
「確かに、オリンピックの金メダリストにしちゃひどくくたびれちまってたよな。岩田勇造っていくつなんだっけ?」
「24だよ」
「そんなふうには見えなかったな。どこからどう見ても貧相(ひんそう)な中年サラリーマンって感じだったよな」
「プラス思考の成れの果てってところだよね」
賢策が、言葉に皮肉をこめて言った。
「モアイの言うとおり、金メダルをとるくらいだから相当なプラス思考型の人間なのはまちがいないよね。『俺は世界一強い!』みたいな感じで、いつも自分を鼓舞(こぶ)するくらいのことはやっていただろうしね」
「それってよくないことなのかな?」
カツオが異を唱える。
「ボクシング史上最高のチャンピオンと言われているモハメド・アリだって、いつも自分を鼓舞してたよ。『アイ・アム・ザ・グレーテスト』なんて叫んだりして、いつも強気で。あれはすごくかっこよかったけどな」
「モハメド・アリのことはよくわからないけど、少なくとも岩田勇造を見るかぎりじゃ、プラス思考なんかで成功を手にいれたところでちっとも幸せそうには見えないね。
成功だの目標達成だの、そんなことに躍起(やっき)になったって人生を浪費するだけ。彼はその生きた見本ってところだよね」
「賢策くんって、ほんとプラス思考を毛嫌いしてるよね」
「まあね。不可能なことを平然とやらせようとしているところが気にいらないんだよね。つねにものごとをプラスに考えよう、いつも積極的でいよう、なんでも肯定的にとらえよう――そんなこと、できるわけがないんだ。
人間の心はそんな単純にできてないし、機械的でもない。人には『感情』ってものがあるんだ。誰だって不安になったり、愚痴(ぐち)をこぼしたり、弱音(よわね)を吐いたり、苦悩したりするのが当たり前なんだよ。
いろいろな想い、さまざまな感情のはざまで揺れ動くのが生きてる人間なんだ。それをしてはいけないなんて恥ずかしげもなく言えるような連中は、心の底から信用できないね」
「それには同感だな」
俺は言った。
「いつもかならずプラス思考でいろ、なんて無理難題もいいところだ。カツオが尊敬しているモハメド・アリだって人前では強気な姿勢をくずさなかったけど、本当はいつも怖かったって、のちにそう語ってるんだ。
もし本当にいつもずっとプラス思考でいられるやつがいるとしたら、そいつはかなりムリをしている。そこまでして自分を偽(いつわ)ることが正しい生き方だなんて、俺にはとても思えないな」
「そもそもウチの学校にプラス思考とか成功哲学とかは合わないんだよね。モアイも自分の学校なんだから、もっと空気を読んでくれないと僕たちが迷惑なんだよね」
ウチの学校はすべてが平均的だ。
学力においても部活動の実績においても「可もなく不可もない」という位置を伝統的にたもっている。
そんな学校にはいってくる生徒たちもまた、すべてにおいて平均的な人間ばかりだった。
いわば『その他大勢のザコキャラ』が集まってるわけで、そんな俺たちに「向上の意欲」などという立派な代物(しろもの)なんてあるわけがない。
そんなものはさらに上を目指す優等生か、劣等感を克服したがっている落ちこぼれがいだくものだって相場が決まってるんだ。
ウチの学校でプラス思考だの成功哲学だのと声高(こわだか)に叫んだところで、飛びつくようなやつはいない。
ちなみにプラス思考や成功哲学というのはいろんなところで説かれているけど、その内容はたいがい決まっていて、「思考は現実になる」っていうのが基盤になっている。
成功したい、成績がよくなりたい、志望校に合格したい、試合に勝ちたい、お金持ちになりたい――
そういった願望や目標は、潜在意識に刻みこまれるまで強く思考しつづければ、やがて現実になる。
成功哲学、潜在意識の法則、引き寄せの法則……いろんな名前がついてるけど、言ってることはみんなおなじなんだ。
思考したことは現実になる、だから「マイナスなことは考えるな、プラスのことだけを考えろ」って彼らは言うんだ。
ムリな話だよな。
「僕に言わせれば、プラス思考なんて新興宗教の一種だよ」
賢策は言う。
「強く願った思考やイメージは現実になる――それって『信じる者は救われる』っていう宗教の決まり文句と一緒だよね。『潜在意識』という言葉を使って現代風に置きかえただけで、中身は何も変わっちゃいない。
いや、信じる対象が『神』ではなく『個人的な成功』になっているぶん、ずっとエゴイスティックだよね。ほんと質(たち)のわるい宗教だよ」
「宗教か……さしずめモアイは『プラス思考教の教祖(きょうそ)様』ってところか」
「モアイがプラス思考を考案したわけじゃないんだから、教祖様ってのはちがうと思うな。布教活動に使命感をいだく宣教師ってところだよね」
「それにしても、あのモアイの慌てようはおもしろかったな」
「あれは痛快だったね。岩田勇造はいい仕事をしてくれたよ」
「でもさぁ」
カツオが小首をかしげながら言った。
「けっきょく、岩田勇造は何が言いたかったのかな?」
「何がって、何がだ?」
「だからさ、彼、金メダルをとった喜びは30分しかつづかないって言ったきりだまりこんじゃったでしょ。そのあとモアイがプラス思考に話をすり替えちゃったけど、岩田勇造自身は何が言いたかったのかな?」
俺は、その問いに答えることができなかった。
そんなこと考えもしなかったってのが本当のところだ。
いまになってみると、確かに謎めいてるよな。
俺たちに何かを伝えようとしてたのはまちがいないと思うんだけど……。
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